2020/05/29

半端評:200529

アルティメット・サイクロン
X-コンタクト
ワイルド・ストーム
ソニック・ザ・ムービー
悪の教典
告白



アルティメット・サイクロン
AmazonPrimeにて鑑賞
ハリウッド的「働くオジサン」映画!
ハリウッドってこぉゆぅの上手だよね!
トラボルタもイイ感じだ!

実話ベースだと言うけど「ベース」だからね、ベース!
いくら何でもあんなにドラマチックな出来事が集中はしないとは思うんだがドラマチックな展開としてはアリだし、前述の通り話の持って行き方が上手い!
感動の涙に咽ぶ・・・とまでは行かないが佳作良作です。

X-コンタクト
AmazonPrimeにて鑑賞
ビショップ(ランス・ヘンリクセン)が居るだけで締まるよねwww
THE THING(遊星からの物体X)との類似性を謳う評が多いけど ま、B級ド直球だし・・・
生物に放射能を充てるとモンスター化するってのはゴジラが初なのかな???と思ったり

ワイルド・ストーム
AmazonPrimeにて鑑賞
映像クヲリティは高い方だと思う!
「ハリケーン中の強盗」なんてより王道のストーリーで行けなかったのかな?
メインストーリー(目的や行動)がショボイので大分 損してる気がする。
ま、でもハリケーンものはTwisterを超えるものが出てきてないから(映像、技術がよくても)トリッキーな方向に行かなければならないのは仕方がないのかもしれない。
パーリームービーとしてはまぁまぁな佳作ではないでしょうか

ソニック・ザ・ムービー
「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」(ゲーム)の存在自体は知っているがプレイした事はない。
本作は・・・・ツマラン、、、、、、
ターゲーット層は何処を狙ったんだろう?
コレ邦画で実写化したらもっとツマランかっただろうが ヘィリウッドをしてもこの程度にしか仕上がらなかったんだろう。

続編やるみたい・・・・欧米人はソニック好きなんだね。

悪の教典
小説を読み終わっての鑑賞。
読書の項で「予告編を見たら「下手な改変」をしてる」と書いたが、どうやらその予告編は「悪の教典-序章-(ネット配信のスピンオフ)」とやらの予告編だったらしい。

とは言え本編も正直 原作とは全くの別作品になっちゃってる気がする。
原作では「シリアル・キラー」と「サイコパス(キラー)」は違う!と何度も念押ししているのだが 「サイコパス(キラー)」を描いた原作に対し映画は「シリアル・キラー」を描いてしまっている。
原作を読んでいれば脳内補完が出来るのだが映画だけ見た人にはその奥が全く分からない表層的なものに仕上がっている。

(ハードカバーで)上下2冊分を130分に収めるのは無理があったようで、その端折り方がえげつない、、、
どうしても原作との比較レビューになってしまうのは落差が激しいから、先に映画を見ていたら原作を読む気ににはなかった気がする。

「あわよくば続編を」的な終わり方をしているが原作的に言うと映画の終わりからはエピローグぐらいしかないのでソコだけを映画に広げるには無理があるし、原作無視のオリジナル脚本を立てるとなるとカナリ期待「薄」だwww

「悪の教典-序章-(ネット配信のスピンオフ)」も視た。
原作に沿った部位はいいものの 改変した部位がクソ・・・・
興行的にそうなるのね、、、とは思いつつも残念至極。

告白
小説を読み終わっての鑑賞。
松たか子の演技を褒める評が多い。
ストーリーには嫌悪を示す評が多い。
確かに気が晴れる映画(ストーリー)ではない、、、が、原作がそうだからなぁ
独白調の原作をどう料理するのかなと思ったけどとてもよく出来てると思った。

ラストまでほぼ原作をなぞった流れ、最後の最後だけ原作にない演出が施される。
そこを廻った考察がチラホラなされてるがドレも私の考察とはチト違う・・・
松さんの演技に気圧されて深い考察をする評もあるが、そんなに深くも感じられなかった、だって原作が只々陰湿だし、映画の演出もソコを強調した作りになってる。
監督さんが原作から読み取った印象が私と同じなら多分ソコまで深い考察でなく ある意味とても厭らしいラストのだと思う。
ラストまで原作なぞりで最後の最後に原作にないシーンを付け加えたって事は監督さんの意思が色濃く反映されていると言ってもいいと思う。

-------ネタバレ--------
衝撃の事実を告げられて修哉はトリップする、実際は見ていないシーンを彷徨うわけだがアレは「見ていない」筈なので修哉が「見たい」シーンなのだよ、彼の載った新聞記事を見て涙する母親像は修哉が見たいシーンであって事実ではないのだ。
母親に(とっくに)見捨てられた事実を認めたくない修哉、そしてそこに現れる森口先生(松)
原作では中学校と大学は移動に4時間掛かる距離にある、映画ではその距離は言明されないが多分同じだと思う。
そうなると最後 体育館に松さんが現れるのは時間的にも物理的にも無理だ!
直前までトリップしていた修哉、体育館に戻ったシーンもまだトリップ中だと私は考察する。
松さんの復讐に「あっぱれ」と留飲を下げたのだ、修哉は!
「なんてな」は松さんではなく修哉本人の言葉、だって劇中ずっとこの言葉を吐いていたのは修哉本人である。
超マザコンの修哉はコンプレックスの要因を自ら排除し、即座に順応したのだ、そもそも「だから何」なのである。
基本はナルシスなのである、
結局は何も学んでいないのである、それは登場人物全員なのである。
コレだけの大惨事があって結局「誰も学んでいない」コレこそが監督さんがこの作品に練り込んだそら恐ろしい意図ではないだろうか!?
ソコこそがこの作品の「怖い」トコロである!
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直くんのシークエンスはもちょっと書き込んで欲しかったな、彼の「承認欲求」への執着は原作で結構ネチネチと書き込まれていた、だからこそ彼の狂気が伝わってきた、映画ではそこが物足りなかったかな・・・