2015/05/10

ゴーン・ガール

久し振りに一説ブチまけたいと思った作品を観ましたので単品批評です。

いやぁ~怖かったです、はい、私の感想は「怖かった」です!!!


アチコチで絶賛されてますね!
フィンチャー節炸裂でフィンチャーの他の作品に比べれば、(まだ)万人受けする作品ではないでしょうか?
それでいてその鉄槌のパワーは半端ないです!

奥さん役のロザムンド・パイク、素晴らしい演技です、キャスティングもバッチリだと思います。
彼女を見た瞬間「サロゲート」でのブルース・ウィルスの奥さん役しか思い出せなかったが、あの時もちょっと怖い印象を持った気がする。

で、映画の感想なんですが・・・
前述の通り、アチコチで絶賛中ですし、いろんな考察が語られています。
なのでちょっと乱暴ではありますが(巡回した中で)他では見られなかった見解、解釈を書いてみようと思います。
元々天邪鬼ではありますが、無理矢理考えた訳ではなく鑑賞直後に直感的に思った感想です。

ネタバレあります

天邪鬼な私が一番気になったのは「お母さん」です。
この物語は不甲斐ないダンナの物語ではなく、可哀そうなエイミーの物語でもなく、エイミーがダンナを懲らしめる物語でもなく、夫婦のあり方を問う物語でもなく、
「エイミーがお母さんから逃げ出す物語」です!

他の評でも意見が一致している通り、「パーフェクト・エイミー」としてキャラを演じなければならない人格を作ったのはお父さんとお母さん(両親)です、が、両親として登場する殆どのシーンでキツい印象のお母さんと、何も言わぬお父さんが描かれます。
何気ないようでいて繰り返し描写されるこの演出、ココでは結局「奥さんの言いなりになるダンナ」の構図がしっかりと描写されています、単なる偶然ではなくコレは意図した演出(の筈)です。

そして極めつけに「キレたお母さんに許しを請うニック」が描かれます。
パーフェクト・エイミーはお母さんにがんじがらめに縛られているのです。

聡明で容姿端麗に育ったエイミーは「箱入り娘」です。
頭は抜群にイイですがバカでもあります、バカは言葉が悪いですね、要は「世間知らず」です。

物語中、オドロオドロシイ過去の男性遍歴が語られますが、まだ若いせいもあって家を飛び出すまでには至っておりませんが(語られている男性は)数少ない語られている二人も、ダンナもパーフェクト・エイミーの相手にしては不釣り合いな男性ばかりです。
アメリカン映画で描かれるようなアメフトのスタープレーヤー&チアリーダーみたいな典型的なお似合いバカっプルみたいな感じだとか、キレッキレのキャリアウーマンと青年実業家みたいな如何にもお似合いだというモノではありません。

ソレは「世間知らず」のエイミーが騙された(る)かした結果であるか、もしくわ親からのお仕着せのパーフェクト・エイミーをブチ壊す作戦だったと考察します。
が、当然「恋愛」が目的ではないのでソレを打開する為に聡明な彼女は周到に用意し捻じれた作戦で関係を破棄するのであります。

が、やはりお母さんの呪縛から逃れられた訳ではありません。
イイ歳になってようやく「結婚」と言う手段でお母さんから逃げ出します。
結婚相手に選んだ相手は おおよそパーフェクト・エイミーには似つかわしくないダメ男です、そのキャスティングににベン・アフレックを持って来た事にも当然意味はあります、どう見てもスマートではありません(激爆

それで、ダンナのお母さんが倒れてようやく地理的にもお母さんから離脱できます。
物語上では何も語られていないドコロか負の要素としてさえ語られますが、あの場面でエイミーは「お母さんから離れられた」と歓喜した筈なんです!

「アレっ、だって違うじゃん」と言う方がほとんどでしょう「ソレじゃぁ、物語の展開と違うじゃん!」と・・・・

では私なりの解釈のキモを披露しましょう。

物語中で語られる事実はダンナのモロモロと失踪後のエイミーです。
失踪前の状況はエイミーの独白である「日記」によって描写されて行きます。

はい、そうです「ダンナ(刑の執行による)殺人計画」の一端である“300日分の日記”による独白です。
そもそもがこの「日記」自体がエイミーの周到な計画の一部なのです。
“嘘や本当が混在してる”と読む評が多いですがココで私の解釈の根幹を述べると、アレは
「全部ウソ」なんです!

そりゃホントの事も書いてあるでしょうが、“ココまでホントでココからウソ”では無い筈です。
計画の一端として書きはじめたと言う事は出会いの場面からしてその日に書いたものでは無い筈です、記憶と言うものは本人の都合のいいように脚色されているものです。
なのでホントの様なウソ、エイミーに都合の良い物語が書かれているんです!!!

そうなると解釈構想は更に飛躍します。
「ダンナが若い娘に浮気したのでキレた!」的な流れではありますが、今までパーフェクトを演じていたエイミーがそんな事でダンナ殺人計画を練るでしょうか?
いいえ、そんな事はありません!
実は「ダンナの浮気」すらエイミーの計画の一部だったのではと考察します!!!

偽造証拠である日記は300日分とハッキリ描写されます。
巧妙なミスリードです、ニックが浮気を始めて1年半経つと言います。
日数の整合性を取ろうとするとニックの浮気がきっかけであるのなら浮気後の日記が300日なら辻褄が合うように感じますが普通に文章に起こしてみると辻褄も何も関連性は皆無です。

300日日記には出会いのシーンから描かれています。
日記冒頭が出会いの描写と言う事は5年以上前の出来事です、当然の如く300日日記は300日分の日記ではありますが連続した300日ではなくあくまでも300日分であって、出会いから今までの5年以上の期間の日記であるからしてニックが浮気してからの日記ではないのです。

「ダンナが浮気したから計画を練り始めた」と言う流れはエイミーの独白であって事実であるという確証はどこにも無いではありませんか!!!
描かれていないだけであって「ダンナの浮気もエイミーの計画の一部」と言う私の持論を否定する要素も一つもありませんが、「頭のいいエイミーの計画の一部」と考えるとその方がシックリ来ます。

ではいったい何がエイミーをそうさせたのか?

「飽きた」からです!!!!

「ダンナの浮気」を“そんな事”と言い放っておいて「飽きた」とは何事ぞ!?と思われるかもしれませんが、そっちの方が腑に落ちるんですよ。

先に今までの男性遍歴を【「世間知らず」のエイミーが騙された(る)かした結果であるか、もしくわ親からのお仕着せのパーフェクト・エイミーをブチ壊す作戦だった】と濁しましたが、「騙された説」はココできれいに却下されます。
今までもエイミーが「騙し、捨てた」と言う事です。
今回のニックもエイミーに騙され、捨てられかけたのです。

却下したばかりですがエイミーが「世間知らず」だった事は間違いありません。
そもそもの計画では「エイミー自身の自殺をして、ダンナが死刑になる事」で計画が完璧に終焉するはずでした。
が、結局自殺できずに計画に狂いが生じます。

エイミーを捨ててナンシーとなり好き勝手に振る舞う(多分)本当の自分になったエイミーは(ややこしいな)死ぬのが怖くなったのでしょう・・かな?

窮地に陥ってもその天才的な計画立案で飄々と切り抜けられるのに、怪しいバカップルに大金を見られてもその場でトンズラしなかったり(オレなら速攻逃げます)、聡明である筈なのに究極のストーカーにほいほい助けを求めに行っちゃったりするのは「世間知らず」が故と考えます。
本末転倒ですが、完璧な計画にも関わらず窮地に追いやられるのは「世間知らず」=「一般的な防衛本能の欠如」な為です。

結局は「箱入りのガキ」の「わがまま」に周りが振り回されただけなんですね。
「世間知らずのガキ」なので「色恋云々」と言うよりも「飽きた」からと言うのが単純だけどシックリとハマる犯行動機なんです。

でもって結局は「お母さんの呪縛」からは完全に抜け出せてはいません。
最初の計画通り「自殺」してしまえば完全にお母さんの呪縛からは逃れられたのですがね・・・・

でもこの一連の出来事で「縛られる側」から「縛る側」い完全移行したエイミー。
究極のサイコパスの次なる獲物は「お母さん」の筈です!

と、言うのが私の新説講釈ですが如何でしょうか???

でも、一番怖かったのはエイミーではないんですよ。
完璧、完璧と言っていたエイミーの計画も実はそこらじゅう穴だらけなんですよね。
物語上、用意周到に張り巡らされた計画に皆がハマっている様に描かれていますが、世間知らずのガキが立てた計画なんてほんの一つの掛け違いで即破綻する計画だったんですよ。

窮地に陥った時の機転の利いた?急造計画だって完璧には程遠いです。
ストーリー上の都合のよさで展開しているのではなく実はその辺は誰にでも「穴だらけ」を指摘できるような計画として描かれています、計画の都合よさを指摘する評はそもそも的外れなんです。

でも、その綻びだらけの計画もメディアや一般大衆を巻き込む事によって「黒(もしくわグレー)が白、いや真っ白になってしまう」と言うトコロがこの作品の最大の怖さなんです。


原作は読んでいません、映画の脚本も原作者が書いているようです。
私の考察は全くの見当違いかもしれませんが不思議とハマっているようには思えませんか???

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